こんばんは、中野祐治(ゆう)です。
今日は引き続き"きらきらひかる"という本をレビューしていこう。
純度100%の恋愛小説?
(そもそも旦那がホモで恋人ありの夫婦の物語が、なんで純度100%の恋愛小説なんだ!?)
そう思ったのは僕だけではないはずだ。
ところがどうして、読み終えてからあとがきを読み返すと、すごくしっくりくる。
そもそも"愛"とは何かと問われて、明確に答えられる人は多くないだろう。
実際かたちのないものなのだから、説明のしようなんてないのかもしれない。
でも、僕はこの本を読み終えたとき、睦月と笑子が心から愛し合っていることを、はっきりと感じたのだ。
それも、睦月の恋人の紺が加わることで、その愛は純度を増す。
例えば、
『僕は、シーツにアイロンをかけているときの笑子の、鬼気迫る背中をみるのが好きだ。』
なんて、何気ない日常の幸せを感じる睦月の心の描写は、本来、女性を好きになれないはずの彼だからこそ、"笑子の"という部分が強調される。
『紺くんが睦月の赤ちゃん埋めるといいのに』
という、嫌味ともとれそうな笑子のセリフも、奔放で無邪気な、"正常の域を逸脱していない"精神病の笑子が言うと、純粋に睦月を愛しているから出た言葉だと、確信出来る。
理屈では表現できない"愛"を、こうもありありと感じさせる描写は、本当に天才的だ。
次回はいよいよ、僕の思う"女心"について書いてみようと思う。
それではまた。
本日の格言
傷つき傷つけられながらも、愛することを止められない全ての人々に贈る、純度100%の恋愛小説
〜江國香織〜